卒業60年 喜寿77歳
元気に73人集まりました !
私達が生まれたのは戦中・戦後の昭和20年21年。社会が混乱した時で、人数が少なく、入試では、ほとんど入学できました。1964年3年の時は東京オリンピックで、日本が世界に「日本ここにあり!」と言わんばかりの勢いでした。デカンショ祭は篠山川原であり、郡家には篠山連隊があり、その後兵庫農科大学があり、我が家にも何人も学生が下宿していました。明治18年頃私の祖父は氷上から鳳鳴義塾に入り、卒業を待たずに陸軍士官学校に合格し、東京に行きました。青山藩主のお陰で東京に尚志館があり、多くの方が東京で勉強できたこと、すごいと思います。大相撲の地方巡業で横綱やたくさんの力士が来て、50ほどの力士の旗が立ち並び壮観でした。
お城で体育祭の応援の練習をし、運動部の人はお城の周りを走り、いつもお城と一緒に生活していました。
卒業60年になりましたが、皆元気でおしゃべりは止まりません。楽しい一日でした。鳳鳴高校が学力、体力共に向上することを心から願っております。
吉村(松山)万里子(高16回)