第15回「鳳鳴のつどい」に出席して
コロナ問題にあたり難しい大人数の総会を見事に手ぎわよく開催され無事終了しました事、参加者の一人として心から感謝申上げ、併せて世話人の皆様のご高配に厚く御礼申し上げます。
実は私儀(鳳中59)は昭和14年4月の入学であり当時から満州事変・支那事変と少しずつ戦時体制に移行しつつありましたが「鳳鳴中学内部」には一定の余裕をもった教育方針があったように思います。やはり青山公以来の「忠君愛国」「勤倹尚武」の武士道精神が教育のベースにあり、すべての教官も心得ておられた賜と思えます。更に上級生の下級生指導も「厳しさの中に優しさを感じさせる」ようで意外に楽しい学校の雰囲気だったようです。
私の記憶に鮮やかなのは
①校歌の中のフレーズ
「国と家とを守るべき 柱とならむ我ついに」
であります。(どのようにして「柱とならうか」が問題ですが)
②デカンショで「花のお江戸で芝居する」は篠山の看板です。
私の陸士時代もこのデカンショだけは、私が一人で歌いました。
更に替え歌で
「俺が死んだら三途の川でヨ― 鬼を集めて角力とらす」を皆で歌ったものです。
これは鳳鳴又は篠山の特許にして頂きたい。要するに
●青山忠誠公の遺徳は常に顕彰しよう
●デカンショは 花のお江戸に代り世界・地球・宇宙に拡げよう
余田和雄(鳳中59回)