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河合雅雄先生との思い出

 20数年前、高校を定年退職し再就職した県立人と自然の博物館で館長の先生に挨拶するなり「樋口繁一先生の…」と言われた。60数年前の篠山小学校で担任でもない父のことを言われたのに驚いた。確かに父は植物をよく知っており、よく尋ねられたそうだ。
 人と自然の博物館を退職した年、ささやまの森公園の立ち上げをするように先生から言われた。当時先生は丹波の森公苑長も兼ねておられたので、篠山在住の私に声を掛けていただいたのだろう。白紙の中から公園運営の企画立案を練るのに先生に何度も意見を聞きに自宅を訪ねた。自宅での先生は紺色の着物姿でおられることが多く、それが髭の姿に大変よく似合っていた。
 先生の少年時代を描いた映画「森の学校」が出来ていたので、ささやまの森公園もそのコンセプトを考えていたが、ふと「森が学校」もいいのではないかと思い、先生に告げると「うん、それがいいね」と返事をいただいた。現在ささやまの森公園の和室に先生揮毫の「森が学校」の掛け軸がかかっている。
 裏の畑の世話を何度か手伝った。黒豆の苗を20本ほど持参すると「これはビールに最高だ」と大事に育てられた。雑草を抜きながら「この草1本にも名前があるのだね」といい、除草剤やマルチ(黒い覆い)を勧めても拒否された。出来た野菜を娘さん宅に送り、娘さんが近所にお裾分けすると「実家が農家だといいですね」と礼を言われたと自慢顔された姿は百姓爺さんそのものだった。

樋口清一(高7回)