1. HOME
  2. 投稿一覧
  3. 還暦を過ぎ自分を振り返る

還暦を過ぎ自分を振り返る

 私は丹波市氷上町で1959年に生まれました。そして1977年鳳鳴高校を卒業。その後、浪人生として京都へ行きましたが全く勉強をせずに、音楽ばかり聴いていました。昼はレコード店でアルバイト、夜はディスコで音楽をかけていました。この頃が、私の青春だったのでしょう。同時に最も馬鹿だった頃なのでしょう。こんな生活が約3年続きました。そして、丹波に帰り2年間の浪人生活を送り近畿大学医学部に入学しました。この頃が悪い頭を最も使って勉強したのでしょう。  その後医師となり、東大阪市の病院でアルバイトしていましたが、分院の院長で行けという命を受け、1998年大分県杵築市ヘ移りました。そこでクリニック経営を学び、また、九州という地を好きにもなりました。
 大阪に戻れという命を切って一瞬風来坊になりましたが、福岡県みやま市の横倉病院当時院長の横倉義武氏に拾っていただき約2年間お世話になりました。その間、福岡市での開業ばかりを考えていました。で、横倉先生にお世話になって、2002年福岡市中央区に『吉田内科医院』を開業。福岡ではまだ少なかった訪問診察を開始し医師1人では回りきれなくなり、『医療法人鳳鳴会吉田医院』設立。開院場所も医療機器等で手狭になり現在の福岡市南区長丘に移転しました。現在、約600名を3人の医師で訪問診察に回っています。
 2002年までの私(40歳頃)は後悔しかありません。現在でも身近な過去において半分は後悔の連続です。いちいち落ち込みます。この為、高校時代の友人はほぼいません。自分の責任とはいえ悲しい事です。しかし、多くの患者様や職員を抱える上で、過去を悔やみ、落ち込んでいる場合ではありません。患者様・職員に楽しく幸せな生活を送れるように、60歳を過ぎても、70歳を過ぎても頑張るしかありません。これが私の人生なのでしょう。高校の同級生に何と思われようと私の今後の人生には関係ないのです。しかし、私は『鳳鳴高校』が大好きです。だから、『医療法人鳳鳴会』です。

追伸 鳳鳴高校での一番の思い出は2年下の康子さんです。たった一人、こんな私を支えてつくしてくれた女性。本当にありがとうございました。

吉田匡人(高30回)